~~
あれから46年となった。それがどれだけ長く、つらく、残酷な年月であったことか。
昭和52年11月15日、新潟市の中学1年生、横田めぐみさんはバドミントン部の練習後、帰宅途中に北朝鮮の工作員に拉致された。
わずか13歳だった可憐(かれん)な少女はそのまま工作船で北朝鮮に連れ去られ、家族との再会を果たせないでいる。
平成14年9月の日朝首脳会談で当時の金正日総書記が拉致を認めて謝罪し、蓮池薫さんら5人の被害者が帰国した。
だが、めぐみさんらについては一方的に「死亡」と伝えられた。その説明も二転三転し、16年には「遺骨」まで送り付けられたが、DNA鑑定で別人のものと判明した。
こうした理不尽な経緯の一つ一つが、どれだけ娘の帰りを待つ家族を傷つけてきたか。
岸田文雄首相は11月15日、「いまだに多くの拉致被害者が取り残されているのは痛恨の極みであり、大変申し訳なく思う」と述べ、「一日も早い拉致被害者の帰国に向けて果断に取り組まなければならないと改めて強く感じる」と語ったが、自身が意欲を示す日朝首脳会談の実現に向けては「事柄の性質上、具体的に申し上げることは控える」と述べるにとどめた。
めぐみさんの母、早紀江さんは11月15日付産経新聞の連載「めぐみへの手紙」に「このところの日本政府の動静を見るにつけ、本当に解決する気概はあるのか。不安や不信ばかりが募ります」と記した。
そして国民に対しても、このように訴えた。
「すべての国民の皆さま。どうか、北朝鮮に捕らわれたままの被害者を改めて思い、声をあげてください。拉致事件を『わがこと』と考え、解決に向けて動き出すよう日本政府を後押ししてください」
拉致被害者家族会の代表を長く務めた父親の滋さんは令和2年に亡くなり、早紀江さんも87歳となる。同連載には、「私も年をとり、いよいよ、くたくたです」「でも、決して諦めず、屈せず、粘り強く、思いを届けることはできます。めぐみと再会するまで、絶対に負けるわけにはいかないのです」ともつづっている。
拉致事件への強い怒りを「わがこと」として、母の思いに応えたい。
◇
2023年11月16日付産経新聞【主張】を転載しています